Initiativesくうねあの取り組み

2025.02.05

アート、金融、エンタメを経て保育の道へ。さまざまな人生経験の活かし方。

城山さん

くうねあには、他業種での経験をしてきたスタッフが沢山います。今回インタビューを引き受けてくださった城山裕子さんもその一人です。              

城山さんは広島生まれで、地元の短大で美術を専攻していました。卒業後は県内の証券会社で4年窓口業務を担当。その後は芸能プロダクションにて、講師やマネジメントなどを行いながら約25年間働いていました。

そして50代から未経験で保育の道へ。現在、くうねあで働き始めて8年目です。保育補助として、日々子どもたちのサポートをしています。

新しいことに対して、楽しみながら挑戦し続ける城山さんはなぜ保育の道に進んだのか、今までの経験をどのように保育に活かしているのかを伺いました。

―城山さんは保育士になるまでに様々なご経験をされていますが、いつ保育の道へ進もうと思ったのですか?

保育の道を考えたのは、結婚を機に芸能プロダクションを辞め、その数年後に主人が亡くなり、「何かしなくては」と思ったことがきっかけです。今までのキャリアを振り返り、これからのことを考えた際に「自分で専門的と思えるようなスキルを持ちたいな」という気持ちが徐々に強くなっていきました。

―専門的な資格の中でも、なぜ保育だったのでしょうか?

きっかけは、芸能プロダクションで働いていた時の経験です。私はインストラクターとしてさまざまな人に関わっていたのですが、家庭でのトラブルを抱えている子どもたちや「自分の思いをうまく伝えられない」と生きづらさを感じている人たちにたくさん出会いました。

しかし、彼らは、芝居や歌などを演じることを通して、自分に自信を付け、自己表現を堂々と行えるように変わっていきました。このことを、普通の子どもたちとの関わりに活かせないかと考えました。

「専門的な資格を持って仕事をしたい」と思い立ったタイミングと、当時の経験が重なり、そこから1年ほどかけて保育士の資格と発達支援コーチという資格を取得することにしました。

―今までのご経験からの選択だったのですね。保育の現場で活かされている他の経験談もお聞かせいただけますか?

広島の短大で彫刻を学んでいた経験も今に繋がっていますね。元々、絵を描いたり物を作ったりするのが好きなんです。最近だと私がサポートに入らせていただいているクラスの子どもたちが「ワニにハマっている」と聞き、ワニの足跡や新聞紙で立体的なワニを作りました。自分の好きなことで、子どもたちも喜んでくれたのが嬉しかったです。

ワニ

また私自身は「何かを作ることは誰でも簡単にできることだろう」と思っていた節があったのですが、他の保育スタッフさんから「そんなにすぐにできたの!?」と言ってもらったりして、「誰でもできる」と思っていたことが実は自分の得意分野だったことに気づくこともできました。

ー色々な保育園がある中で、なぜくうねあで働かれることになったのでしょうか?

それが本当に不思議なご縁で。くうねあの大園長(おおえんちょう)の堀江さんと高校が一緒で、私の後輩にあたるんです(笑)

出会ったきっかけは、卒業生の集まりでした。その時に堀江さんが「三方よし」の考え、つまり社会にとってもよく、保育園に来る保護者や子どもにもよく、そして働いている人にもよい園にしたいという話をされていて、印象的だったことを覚えています。

また別の知り合いから堀江さんのお話を聞いたりしていて。不思議な出会いが重なる中で、「土曜日のスタッフが不足しているので入れないか?」と堀江さんから直接お声がけいただきました。そこで最初は週1で勤務していたのですが、徐々に関わりが増えていき、現在はパートタイムで週に4日働いています。

ーくうねあで8年間働かれてきて、どんなところに魅力を感じていますか?

スタッフの皆さんが、本当に一人ひとりの子どものことを大切に考えているところです。

以前働いていた保育園では、保育士一人当たりの子どもの数が多くて。「一人ひとりの子どもと向き合いたい」という思いはあっても、現実的に自分が目指す保育の形を実現できない時も多くありました。

くうねあでは「子ども一人ひとりとしっかり向き合おう」というスタッフみんなの思いが、日々の保育の中で自然と実現できていると感じます。適切な人数のスタッフがいることはもちろん、リフレッシュ休暇や産休・育休など、それぞれの生活に合わせた働き方ができる環境が整っているので、スタッフのみなさんにも心の余裕があるように感じますね。

ー城山さんもくうねあを休職して、北海道で1年ほど過ごされたと伺いました。

そうなんです。コロナ禍の時に、くうねあを1年休職させていただいて。北海道でウエスタン乗馬の練習に明け暮れていました。その繋がりで、地方競馬の誘導馬の騎手をさせて頂いたり、憧れていた『エンデュランス』という競技にも関わらせて頂きました。馬に乗って山を走ったり、川を下ったりしてその早さを競うレースなのですが、私は馬の心拍数を測ったり、給水したりするクルーとして、参加しました。

城山さん

それから、夏の間は昆布干しの仕事もしていました。漁師さんが海から引き上げてくる5メートル位もある昆布を、みんなで力を合わせて広げていく。そんな、貴重な経験をさせていただきました。

ー休職というのは、大きな決断だったと思うのですが、堀江さんはどんな反応でしたか?

最初は「一度退職した方がいいかな」とも考えたんですが、堀江さんが「ああ、いいですよ」と本当に自然な形で背中を押してくださいました。

エンデュランスは、テレビで見てから「いつか関わってみたい」と思っていたことの一つでした。家庭の変化やコロナ禍など、いろいろなタイミングが重なったこともあり休職を決意したのですが、それをいつも通り自然に応援してくださる堀江さんやくうねあの皆さんがいてよかったなと思います。

ー城山さんがさまざまな経験をし続ける理由はどこから来ているのでしょうか?

「大人がやりたいことを楽しんでいないと、子どもたちもやりたいことに挑戦できない」という考え方が、すごく好きなんです。 だから私自身もまず、やりたいことはやりたいと思ったタイミングでやろうって思っています。

ー城山さんの生き方とくうねあが大切にしていることが重なっているように思いました。

そうですね。一般的に、子どもが何か新しいことをやろうとすると「あなたにはまだ早いから」とか「あそこは危ないから行っちゃだめよ」とかって大人側が止めるケースって、よくありますよね。ただくうねあには、子どもたちに対しても「子どもたちがやりたいことをできる限り何でもやらせてあげよう」という環境があります。私自身も、子どもたちがなるべく身を持って自分で体験してもらいたいなと思っています。

城山さん

ー最後に、城山さんがこれからくうねあで挑戦したいことはありますか?

保育士資格だけではなく、発達支援やアンガーマネジメントなど今まで身につけてきたスキルを活かしながら、一人ひとりの子どもたちと向き合えたらなと思っています。

「あの時こうすれば良かったな」と日々反省もあるのですが、その経験を活かして、今後周りで自分ができることや伝えられることを考えながら、もっと上手なフォロワーになりたいです!

ーありがとうございました!

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