Interview大園長インタビュー

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園児2人、スタッフ5人の「不安な」スタート――くすの木保育園が地域に受け入れられるまで。くうねあ・堀江大園長インタビュー #002

2023年夏、広島市内で保育園事業やベビーシッター事業を展開する株式会社くうねあは、創業から12年を迎えました。「子育てしやすい社会の実現」をビジョンに掲げ、同市安佐南区にあるマンションの一室からスタート。現在では同区を中心に、5施設で計250人の園児を預かっています。

くうねあのアレコレを伝えるメディア「+(プラス)くうねあ」では、堀江宗巨大園長(おおえんちょう)に、「くうねあ」のこれまでとこれからについて聞くインタビュー企画を順次公開中。前回のインタビューでは、大手メーカーの営業マンとして働いていた創業前について話を聞きました。

大手メーカーの営業マンが「子育て共同体」の理想を描くまで。くうねあ・堀江大園長インタビュー #001

今でこそ多くの子どもを預かる保育園(認定こども園)となりましたが、開園直後の園児数は、なんと2人。そんな状況下から、どのように地域と結びつきを深め、園児を増やしていったのでしょうか。4本続きのインタビュー、2本目となる今回は、くうねあの「創業初期」について聞いていきます。

会社名「くうねあ」に込めた想い

――創業初期の話についてお聞きする前に、改めて「くうねあ」をどのような思いで創業されたのか、教えてください。

会社名の「くうねあ」は、子育てにおいて私たちが重視している「食う、寝る、遊ぶ」の頭文字をつなげたもの。この3つがそろうことで、子ども達にとって安全で適切な発達環境を整えることができると考え、種々の事業を展開しています。

「食う」では、食の安全性や楽しく食べることを特に重視しています。認可保育園となる以前から、複数社から弁当の試食品を取り寄せ、より安全でおいしいものを選び、提供するようにしていました。

認可保育園になった2016年4月からは、自園給食をスタート。新規保育園では、給食を外部業者に任せる「委託」か、地域の給食センターを利用する「搬入式」とするのが一般的。大きな挑戦でしたが、理想の保育環境を実現する上で、譲ることのできないこだわりでした。

――給食では、どのようなこだわりを持っているのでしょうか?

給食では、季節の食材を用いた和食中心のメニューを中心に提供。地元の食材を活用することはもちろん、安心・安全の食材を使うよう心がけています。食のこだわりが大きいため、給食費を含む保育料は他の園と比べても割高。その分、給食のスタッフが責任を持って、確かな食材を選ぶようにしています。

給食のこだわりについてはこちらから!

――残りの「寝る」「遊ぶ」についても教えてください。

「寝る」については、ただ子どもを寝かしつけるだけが仕事だとは思っていません。睡眠から子どもたちの体調不良を感じ取るなど、健康状態を推し量るバロメーターとして大切にしています。

「遊ぶ」は、子どもにとって一番大切なもの。園児の主体性や好奇心を発揮できる環境にしたいという思いから園庭には遊具を設けず、先生と一緒に考えたり、地域に出かけたりする中で遊びを見つけてもらうよう心がけています。子どもたちとの対話を何より重視しており、園児の発言から遊びやブームが生まれることもありますね。

――保育園と聞くと、社会福祉法人や学校法人を立ち上げるイメージがあります。なぜくうねあは「株式会社」として保育事業に挑戦しようと思ったのでしょうか?

保育事業にとどまらず、広く「世の中のためになる」には、株式会社が一番適切な形態だと考えたからです。東日本大震災が発生したときに強く感じたのですが、災害時に寄付などをして社会に還元していたのは、孫正義さんや柳井正さんなどのビジネスパーソンでした。

社会福祉法人や学校法人は役割が限られており、「いざ」というとき、社会に還元できる形態ではありません。創業当初は「子どもを使ってお金稼ぎをしている」と批判を受けることもありましたが、売り上げを立てた上で、世の中に還元できる自由度の高いビジネスモデルが株式会社だと判断し、起業を決断しました。

園児2人からのスタート、「正直、不安だった」創業期

――創業当初についても教えてください。最初に立ち上げた「くすの木保育園」では、園児が2人からのスタートだったとお聞きしました。

開業の地として選んだ安佐南区は、広島市の中でも待機児童が多く、都市開発も活発だったため、将来的に保育園が足りなくなるのではないかと考えて保育園を開きました。ですが、おっしゃる通り、初日の園児はスタッフの子ども2人だけ。かたやスタッフは5人。保育園の中にはおもちゃも遊具もなく、だだっ広いフローリングがあるばかりでした。

画像:保育園

最初からうまくいくはずはないと覚悟はしていましたが、いつまでこの状況が続くのか…と思うこともしばしば。正直、不安でしたね。売り上げが少ないころは、保育料が振り込まれると、手数料がもったいないので自転車で銀行の支店まで走って電気代を振り込みにいくこともありました。

――その後、園児は増えていったのでしょうか?

1年ほど運営してみると、10人ほどに増えていきました。ただ、そのうちのほとんどが認可保育園の待機児童となり、一時的に預けている人ばかり。毎月20日に翌月の入園結果の発表があるのですが、入園の知らせを受けた親御さんが「入園通知が来ました!こちらの園は退園します!」と嬉しそうに報告してくれるんです。

うれしそうな親御さんの顔を見て「おめでとうございます!」と笑顔で見送りつつ、内心は「いなくなっちゃった…」と複雑な感情を抱えていて(笑)。認可保育園となる2016年度まで、徐々に待機児童を預けてもらうなどして人数は増えていきましたが、不安定な状況が続いていたように感じています。

画像:保育園

――不安定な状況下でも、心がけていたことはあるのでしょうか?

先述した、3つのこだわりを捨てないようにしていました。中でも「遊び」に関しては、おもちゃや遊具が一個も置いていなくても、「どう遊ぶか」を考える試行錯誤の日々。購読していた中国新聞をちぎって遊んだり、おままごとで使うキッチンを段ボールで手作りしたり。遊び作りに疲れたら散歩して、地域のおもしろいスポットを探していましたね。

画像:保育園

もう1つ心がけていたのが、くうねあが目指す保育の理念について丁寧に説明すること。見学に訪れた保護者に対しては、これからの時代に必要な子どもを育てるにはどうしたらいいのか、なぜこのスタイルで子どもを育てているのか。相手の反応なんてお構いなしに、くうねあの思想をとことん語っていました。

当初、おもちゃも遊具もない保育園を怪しんでいる方も多かったと思います。ただ、こだわりを持ち、発信を続けた結果、少しずつ理解してくれる保護者や地域住民に恵まれていくようになりました。

創業から数年、徐々に感じていった手応え

――創業して数年、経営上では不安な状況が続いていたと思うのですが、何か転機はあったのでしょうか?

大きな転機はなかったと思います。ただ、私たちが実践している保育について説明を続けたり、地域の中で散歩をしたりして覚えてもらえるようになり、少しずつ理解してもらえるようになりました。

画像:保育園

ただ、明確に手応えを感じた出来事があります。開園して数年後、くうねあの保育方針に共感してくれたのか、うちの園に子どもを通わせようと、近所に引っ越してきてくれる保護者の方が出てきたんです。それまで、不安を感じながらの運営でしたが、わかる人にはわかってもらえるのかと、自信を持たせてくれる出来事でした。

そのうち、認可保育園を蹴ってくすの木保育園に来てくれる人や、「小学校まで預けたい」と言ってくれる人が増えてきて。やっていけると確信できるようになっていきました。

――少しずつ、くうねあの方針に共感してくれる人が増えていったんですね。

保育方針への共感で言うと、創業初期にパート従業員としてジョインしてくれた、くみ先生(坂井くみ子・認定こども園くすの木園長)の存在も大きかった。どんな遊びも積極的に楽しく遊んでくれて、ピアノも上手。保護者の評判も上々でしたし、くみ先生の人柄や教育方針に惹かれて園を選んだ人もいると思います。これまで見た先生の中でも、五指に入る先生です。

――くうねあの保育方針では、地域との関わりも大切にされていると思います。地域の人々とは、どのように信頼関係を作り上げていったのでしょうか?

「地域が園舎、園庭」という考えの元、散歩に出かける中で覚えてもらえるようになっていきました。最初は交通事故なども不安もあってマンションの周囲しか歩けなかったのですが、経験を重ねるうちに先生も遠出できるようになっていって。移動距離に比例して、声を掛けてもらえる回数も増えていきました。

それと同時に、遊びの幅も広がっていきました。ザリガニ釣りのスポットを教えてもらったり、農家さんから野菜をもらったり。地域の人々から声を掛けてもらえると、先生たちも「地域って捨てたもんじゃない」とおもしろがるようになっていくようになって。今では子ども達と一緒に、面白い場所を探して歩くのが当たり前になっていますね。

大手メーカーの営業を離れ、異色の「株式会社」としての保育園開業。創業当初の園児はたったの2人でしたが、こだわりを貫き続け、熱量を伝え続けることで「ファン」を増やし、地域に受け入れられる保育園となっていきました。